ピアニスト/音楽博士  鈴木陶子さん
第2回 「ウェストミンスター寺院とロイヤル・ウエディング」

ことばだけでミサを行なう宗派もあるようだけれど、
私はやはり教会には音楽が欠かせないと思います。
石造りの教会に響く合唱団の歌声やオルガンの音色。
その音楽に耳を傾けているだけで、日常の忙しさから解放され、
疲れた心を洗い清め、安らぎを与えてくれるような気にさえなります。

イギリス王室と深い関わりのある寺院といえば、ウェストミンスター寺院。
歴代英国国王の戴冠式の他、故ダイアナ元妃の葬儀が営まれたのもここ。
まだ記憶に新しい大きな出来事といえば、その故ダイアナ元妃の息子、
ウィリアム王子とキャサリン妃のロイヤル・ウエディング。

ロイヤル・ウェディング当日、寺院内にはイギリスの
田園風景を彷彿とさせる青々とした樹々が街道を作り、
何だかちょっと型破りな印象。
けれど、厳かさと開放感が絶妙なバランスで、
さすが素晴らしい演出でした。
「伝統」と「目新しさや斬新さ」が混在し、絶妙に調和している国。
それこそが古くて新しいイギリスらしさなのだろうなあと
強く思ったことを今でも鮮明に覚えています。

この世紀のロイヤル・ウエディングに彩りを添えていたのが音楽。
演奏したのはウェストミンスター寺院聖歌隊、王室礼拝堂合唱団、ロンドン室内管弦楽団、
イギリス空軍中央軍楽隊のファンファーレ隊、ウェストミンスター寺院オルガニスト。
式内で演奏された曲の多くはエドワード・エルガーやベンジャミン・ブリテンなど、
イギリスを代表し、今も人々に愛され続ける歴代の作曲家たちの作品だけでなく、
現代を代表する作曲家たち、例えば宗教合唱曲で有名なジョン・ラターなどの作品も
数多く織り交ぜられ、まさにイギリスを強く感じる選曲でした。

聖歌隊で一番に思い浮かべるのが
清らかな透明感のあるハーモニーで人々を魅了する少年合唱団の歌声。
このウェストミンスター寺院聖歌隊には寺院に付属する寮制の音楽学校があり、
今でも30名程の少年たちが寝食を共にしながら、
日々の礼拝時における音楽に、時にはワールドツアーなどもこなしながら、
優れた音楽教育を受けているようです。
これは今に始まったことではなく、その昔、
ちょうどお茶がイギリスに紹介された17世紀バロック時代に活躍していた作曲家たちも
子どもの頃は同じように聖歌隊に所属し、同じように日々の務めを行なっていました。

17世紀、演奏される場所や用途によって書かれる音楽のスタイルは異なり、
教会音楽、宮廷音楽、劇音楽は、はっきりと区別されていました。
加えて、イタリア、フランス、ドイツがそれぞれに異なる特長が顕著だった時代。
楽器や演奏形態の発達などとも相まって、音楽文化の土壌が劇的に発展します。
しかし、イギリスでは清教徒であった政治家クロムウェル(1599-1658)が政権を握った、
1649年から1660年の間、その教義に基づき、禁欲主義を貫いたため、
賛美歌唱以外の華美な音楽、特にオペラなど人の感情を揺さぶり、
感覚的に歓びを与えるような音楽は完全に排除されました。
こうしてイギリスにおける音楽の発展は、しばし妨げられることになり、
他国に遅れを取ることになります。
この禁令がようやく解かれたのが1660年。
クロムウェルが亡くなり、
チャールズ二世(1630-1685)が王政復古を押し進めたのと同時期に、
ようやくイギリスの音楽も息を吹き返します。
ピューリタン革命期以後、オランダに亡命していたチャールズ二世。
当時、ヨーロッパ中の宮廷の憧れ、フランス・ルイ14世の宮廷文化。
バロック音楽やオペラ発祥の地、イタリアの最新の流行。
王政復古後のイギリス音楽は、
そんなフランスとイタリアの音楽的特長も加味しながら発展していくのです。

ウェストミンスター寺院は歴代の殆どの王やイギリス史上著名な人物たちが
多く埋葬されていることでも有名。
寺院のオルガンのそばに埋葬されているのが、この時代活躍したイギリスを代表する作曲家、
ヘンリー・パーセル( Henry Purcell, 1659-1695)です。

バッハ同様、音楽一族に生まれたパーセル。
父も叔父も弟もウエストミンスター寺院や王立礼拝堂合唱団に所属した音楽家で、
叔父のトーマスはチャールズ2世の戴冠式で歌った人物でした。
この時代の音楽家たちは、ベートーベンやワーグナーなどのように、
自分が書きたいと思った音楽を、思うままに自由に書いていた訳ではなく、
王や宮廷、或は教会に雇われ、その中で必要に応じて求められた仕事をこなしていた時代。
そんな時代でありながら、ヘンリー・パーセルは19世紀にエルガーが登場するまで、
イギリスで最も敬愛される作曲家となりました。
彼の音楽の魅力は何処にあったのでしょうか?
次回はそのヘンリー・パーセルの生涯に迫りたいと思います。

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