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S*STYLE TEA 京都校講師 ティーライフスタイリスト  砂川愛子さん
第3回 「ペンブロック 〜海を渡った青い鳥〜」

ペンブロックパターン。
白磁の肌に描かれた可愛らしい青い鳥はカワセミでしょうか!?
そして目に留まるのは赤いお花。
西洋の磁器なのにどこか親しみある雰囲気を感じる方もいるのではないでしょうか。
それもそのはず、このパターンは日本の磁器の図柄がモデルになっているのです。

-エインズレイ公式ホームページより-

「ペンブロックとは南ウエールズ地方のペンブロックシャイアーという首都の名前です。
ヘンリー7世の誕生で有名な城のペンブロック城があり、景観のすぐれた土地です。
18世紀この地を訪れたデザイナーが、当時西洋ではなかなか手に入らなかった日本の伊万里焼を目にします。
そして東洋の憧れが舞い降りてきた喜びから、この伊万里焼をイメージしてデザインされました。
1970年代に復刻し、現在ではエインズレイを代表する作品の一つとなっています。」

ペンブロックシャイアーはウェールズ地方の南西、大西洋に面した土地です。
イギリスで唯一の海岸公園を擁する美しい海が魅力の街で、
最近ではハリーポッターのロケ地になったことでも注目をされています。
ペンブロックのデザイナーは現在も中世の古い町並みが残るこの街で、
どのように日本の磁器と巡り合ったのでしょうか?
そもそも、18世紀という時代に日本から遠く離れたイギリスの、それも都市ではなく
ウェールズの田舎町になぜ伊万里焼があったのでしょうか。

事の始まりは大航海時代に遡ります。
大航海時代を迎え貿易が始まると、沢山の東洋の陶磁器が海をこえヨーロッパへと渡りました。
薄く透明感のある純白の肌に、様々な美しい文様がほどこされた美しい東洋の磁器は、
たちまちヨーロッパの人々を魅了します。
当時のヨーロッパでは、イタリアやフランスで「軟質磁器」と呼ばれる
磁器に近い焼き物は作られていましたが、
東洋の磁器とほとんど同質の「硬質磁器」は作ることができなかったのです。
そのため宝石のような輝きを持つ東洋の磁器は王侯貴族に愛され、
こぞって蒐集されるようになりました。
今では想像もできませんが、
当時のヨーロッパにはまだ白くて硬い磁器が存在していなかったのですね。

16世紀後半から17世紀初めに輸出された磁器のほとんどは、
中国の景徳鎮で焼成された青と白を基調とした青花磁器でした。
しかし1644年に明朝が崩壊し清朝が成立したことによる内乱が景徳鎮にまで及び、
東インド会社は景徳鎮の入手が困難になり、
ついに1647年中国からヨーロッパへの磁器の輸出は途絶えます。

一方、日本では1610年に九州の有田で日本初の磁器が焼成されます。
初期の有田焼は中国から技術を学び、輸出用の景徳鎮の図柄を真似て作られており、
これらは伊万里港から運ばれたので「伊万里焼」と呼ばれました。
情勢不安な中国からヨーロッパへの磁器の輸入が途絶えると、
ヨーロッパは中国磁器の代替品として日本から磁器の輸入を始めます。

有田では、最初は中国の景徳鎮を模した青花磁器が作られていましたが、
柿右衛門様式などの新しいデザインが開発されると
次第にヨーロッパ諸国に、日本独自のデザインの伊万里焼が輸出されるようになります。
シノワズリ流行の背景も受け、華やかな伊万里焼は、
ヨーロッパの王侯貴族達の宮殿や大邸宅を装飾するものとして熱狂的な人気を得ました。
オランダからイギリス、ドイツへの広まる伊万里焼人気。
イギリスではアフタヌーンティー発祥の地で有名な
ウォーバンアビーやメアリー2世の残したケンジントンハウス、
その他多数の王侯貴族の館に伊万里焼は残されています。

しかし、安価な中国磁器の輸出が再開されると、高価な伊万里焼の輸出は下火になり、
ついに18世紀半ばには輸出を停止してしまいました。
この時代から輸出品は他国との熾烈な価格競争があったのですね。

さて、先ほどお話しに出た「シノワズリ」、陶磁器が好きな方は良くお耳にされることでしょう。
シノワズリ文様とは17世紀から18世紀にかけてヨーロッパ各地で流行した文様のことで
「東洋趣味」や「中国趣味」とも訳されることがあります。
これは中国に限らず、日本、インド、アラビアなどの異国の風景や人物を、
ヨーロッパの人々が描いた文様を指します。
東洋で作られた工芸品のオリジナルの文様をシノワズリとは呼びません。
あくまでも、実際には訪れていない異国の国を想像して描いた文様が
シノワズリ文様と呼ばれるのです。

この時代、ヨーロッパの王侯貴族の館では、
シノワズリの流行で中国磁器から影響を受けた室内装飾品が多数作られました。
人気のあるブルーアンドホワイトパターンの陶磁器も中国磁器の影響を受けたシノワズリです。
また日本の伊万里焼もシノワズリに大きな影響を与えたといわれ、
伊万里に影響を受けた図柄がたくさんのヨーロッパ陶磁器に描かれています。

エインズレイのデザイナーが伊万里焼を目にしたのは、
そんなシノワズリ流行のまっただ中だったはず。
日本の九州から海を越え遠くイギリスへ渡った日本の焼物は、
彼の目にどのように映ったのでしょうか?
そして彼がデザインをしてくれたことで、何世紀もの時代を経て
日本の伊万里焼をモチーフにしたペンブロックのティーカップが私の目の前へ。
♪それはまるで幸福の青い鳥が舞い降りたよう♪

ティーカップが辿ってきた歴史を想像しながら、このカップで今日はどんな紅茶を飲みましょうか。

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