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ピアニスト/音楽博士  鈴木陶子さん
第1回 「イギリスを彩る音楽のお話のはじまり、はじまり。。」

皆様、はじめまして。ピアニストの鈴木陶子と申します。
この度、不思議なご縁に導かれて、エインズレイ・ジャパンウェブサイトの
リーダーズスタイルに 寄稿させて頂くこととなりました。
音楽は人々の暮らしには欠かせないもの。
そんな音楽にまつわる様々なお話をこれからご紹介していきたいと思いますので、
どうぞ宜しくお願い致します。

クラシック音楽の演奏家としての面白さは、作曲家たちが頭の中で描いた音の世界を、
楽譜からいかに読み解き、どれだけ活き活きと音で表現できるかというところ。
国境を越え、時空を越え、様々な国や時代に生きた音楽家たちの作品を楽譜から読み解く、
その過程は、まるでミステリー小説を読むようでもあるし、
絵を描くことやクラフトを作ることも大好きな私にとっては、
風景を描いたり、一本の木や一つの石から彫刻を彫り上げていく作業とも似ているような気がします。
例えば筆のタッチでゴッホの絵とモネの絵の違いが分かるように、
それぞれの作曲家の音楽に対する好みや音の選び方は随分異なります。
また、生きた時代が違えば、それぞれの感じ方も考え方も違うのだから、
演奏家は、それぞれの作曲家が醸し出す独特の世界観を音で表現するために、
彼らがどんな国に生まれ、どんな時代に、どんな暮らしをしていたのかを学び、
彼らに近づく努力をするのです。
その過程は、俳優さんたちが役作りのために様々な角度から
人物やその背景を勉強するのに似ているかも知れません。
難しいけれど、とても面白い作業です。

最近のコンサートでは、演奏と共に、
曲についてお話することを求められる機会が多くなりました。
作曲家にまつわる逸話や
人間味溢れる面白いエピソードなどが
あると、それまで全然知らなかった曲でも、
何となく親しみが持てるもので、お客様も音楽を聴きながら、
それぞれの思いを音楽に投影することが出来るようです。
誰もが興味を持ちそうな話題と音楽を繋げれば、
あまり馴染みのないクラシック音楽でも、
親しみを感じられるようになるのでは・・・
音楽講座を始めたのには、こんな思いがあったからでした。
ローズティールームで以前行なった
『イギリスを彩る紅茶文化と音楽の旅』も、
このお店に集まってくる、イギリス好き、紅茶好き、
アンティーク食器好き、庭園好きの方々に
イギリス由来の音楽もご紹介し、イギリスの歴史を
身近に感じて頂こうと企画した音楽講座でした。

イギリスといえば、紅茶にアフタヌーンティー。
そう思っていた私でしたが、紅茶が17世紀初頭に中国や日本から
ヨーロッパへ伝わったものだと知り、びっくり。
この17世紀は西洋音楽でいうバロック時代にあたり、
音楽的にも劇的な変化と発展が見受けられるようになる時代。
イタリアではオペラが生まれ、 ヴァイオリンの名器として有名なストラディヴァリウスが製作され、
ヨーロッパ音楽の中心的役割を担い、
フランスではヴェルサイユ宮殿を造らせたルイ14世が君臨する絶対王政の時代にさしかかり、
イタリアとは違ったフランス宮廷ならではの音楽が栄えます。
ドイツでは何と言ってもルター派の宗教音楽。
イタリア、フランス、ドイツとそれぞれ特徴の異なる音楽が生み出されたのです。
このバロック時代は1600年から1750年にあたり、バロック後期にあたる18世紀初頭(1700年〜)には、
私たち現代人にも馴染み深いヴィヴァルディ、ヘンデル、バッハなども活躍しました。
では、イギリスはどうだったのでしょうか?

17世紀中期を過ぎた1662年、
ポルトガルからイギリスのチャールズ2世に嫁いだキャサリン王妃が
お茶を飲む文化を宮廷で広め、その後イギリスに喫茶文化が一気に広まっていきます。
この時期、イギリスに生まれ、活躍するのがヘンリー・パーセル (Henry Purcell, 1659-1695) です。
彼はイタリアとフランスの音楽様式を取り入れながらも、
イギリス人独自の音楽を築き上げました。
その後、18世紀初頭、朝食にお茶を飲む習慣を生み出したお茶好きのアン女王が君臨する頃から
イギリスでは公開演奏会が多数開かれるようになり、
近代的な音楽文化が花開いていきます。
楽器、楽譜、音楽雑誌などの普及に伴い、富裕階級だけでなく、
中流家庭でも家で音楽を楽しむ人々が現れ、
音楽がますます盛んになっていきました。
産業革命に後押しされたロンドンは多くの作曲家たちを惹き付ける、
魅力ある近代都市へと発展したのです。
ドイツ生まれの作曲家たち、例えば『メサイア』で有名な
ジョージ・フレドリック・ヘンデル(George Frideric Hendel, 1685-1759) は
最終的にイギリスに帰化したし、「ロンドンのバッハ」と呼ばれるJ.S.バッハの息子、
ヨハン・クリスチャン・バッハ(Johann Christian Bach, 1735-1782)も最終的にイギリスへ移住しました。

英国の名窯エインズレイが創業を始めた1775年頃はどうだったでしょうか。
ヨーロッパで活躍していた、私たちにも馴染み深い作曲家たちといえば、モーツァルトやハイドンです。
モーツァルトは子ども時代に演奏旅行で父とロンドンを訪れ、
J.S.バッハの息子である「ロンドンのバッハ」に会い、多大な影響を受けました。
ハイドンも生涯のうちで2度ロンドンに長期滞在し、
『びっくりシンフォニー』や『ロンドンシンフォニー』の愛称で親しまれる
交響曲第94番や、交響曲第104番などを作曲、大成功を収めています。
ハイドンはイギリス滞在中に、エインズレイの茶器で紅茶を楽しんでいたかも???
そんなことを想像するだけで、何だかワクワクしてきます。

19世紀、ロマン派時代と呼ばれる頃になると、私たちにお馴染みの作曲家たちが、
イギリスからどんどん輩出されます。
例えば『惑星』を作曲したグスターヴ・ホルスト(Gustav Holst, 1874-1934)、
そして何と言っても『愛のあいさつ』や『威風堂々』で知られる
エドワード・エルガー(Sir Edward Elgar, 1857-1934)。
このように、紹介したいお話や作曲家、音楽家は尽きません。
このコラムを通して、イギリスや西欧の人々の暮らしを彩る音楽のお話を
色々と綴っていけたら良いなと思っていますので、楽しみにしていてくださいね。


[イラスト 鈴木陶子]

参考文献- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
日本ティーインストラクター会著/ 日本紅茶協会監修 (2005)『紅茶をもっと楽しむ12ヶ月』
講談社. ニール・ザスロー編/樋口隆一監訳 (1998)『西洋の音楽と社会(6)啓蒙時代の都市と音楽 古典派』
音楽の友社. Hanning, Barbara Russano (1998). Concise History of Western Music/Barbara Russano Hanning:
Based on Donald Jay Grout & Claude V. Palisca, A History of Western Music, Fifth Edition.
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