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Cha Tea 紅茶教室 代表 立川 碧さん
第2回 「アンティーク画の中のティータイム」

こんにちは。Cha Tea 紅茶教室代表の立川です。
英国人は自然が大好き。陽気の良い季節がやってくると、
ハンパーと呼ばれる籐製の籠に茶道具やお菓子を詰めた人々が、
青々とした芝生の上でのティータイムを楽しむ光景があちらこちらで見受けられるようになります

「アンティーク画の中のティータイム」、
今回は前回に引き続き18世紀のティースタイルをアンティーク画と共にご紹介したいと思います。

17世は半ばに英国に紹介されたお茶。
中国、日本への憧れから始まった「ティーボウル」での喫茶は宮廷文化として定着をしました。
そして18世半ばになると国産の陶磁器窯も少しずつ台頭をし始め、茶道具もヴァリエーションが豊かになっていきます。
ティーボウルに持ち手がつき始め、現在の「ティーカップ&ソーサー」が誕生したのはそんな時代です。

1枚目のタイトルは1790年に発表された「The Tea Garden」。
(私の所持しているアンティークプリントは1889年に刷られたもので、
「A LONDON TEA GARDEN OF 100 YEARS AGO」と説明書きが加えられています)

The Tea Garden

この時代人々の憩いの場所になっていたのがロンドン郊外に登場した「ティーガーデン」。
産業革命の影響で生活スタイルが代わり、庭のない都心の狭い住宅で生活をしていた一般の人々にとり、
貴族の私有地のような自然豊かな庭は憧れでした。
自然への憧れ、喫茶文化への憧れを同時に満たそうとしたのが「ティーガーデン」でした。

ティーガーデンには、まるで貴族の庭園のように、
潅木や草花が植えられた庭の中には遊歩道や生垣を利用した迷路が設けられ、
池や泉や彫像が配されました。入場料にはお茶、そしてバター付きのパンなどの茶菓子代が含まれていました。
お茶は屋外のテーブルや椅子、または「ティーハウス」と呼ばれる屋内の施設を利用し楽しむことが出来ました。
ティーガーデンの入場料は平均的な労働者の1日分の賃金と同じ位でしたので、安くはありませんでしたが、
ダンスパーティー、仮想舞踏会、オーケストラの演奏、花火などのイベントも多く開催され人々を熱狂させました。
1764年にはモーツァルトが演奏をした記録もあります。

ティーガーデンの人気は「身分問わず、女性も子供も入場料さえ払えば誰でも入れること」にもありました。
ティーガーデンでは労働者階級と上流階級の人々が直接遭遇することもあり、
外国の上流階級の人々は「危険はないのか」と驚愕したそうです。

アンティーク画の家族はその装いからそれなりの身分のある家族と言うことが分かります。
ティーガーデンならでは、幼い子供、赤ちゃんまでもが描かれています。そして注目すべきは茶器。「ティーボウル」なのです。
持ち手が付いたティーカップが登場した後でも、
ティーボウルは元祖喫茶スタイルとして19世紀初頭まで根強くその文化を引きずっていました。
そのことが画の中にも記録されています。
テーブルの上に乗っているシュガーボウルもミルクピッチャーの大きさに比べると極端に大きく、
輸入物の砂糖を楽しむことに対しての冨と権力を象徴しています。

2枚目の画は1785年に発表されたティーガーデンでのコンサート風景を描いた画です。
日本でも公開された映画「ある公爵夫人の生涯」の主人公デボンシャー公爵夫人ジョージアナが中央にいます。
ジョージアナはフランス王妃マリー・アントワネットとも交流があり、社交界の中心的人物だった女性。
流行のティーガーデンにも度々足を運び、お茶を楽しんだ記録が残っています。

ジョージアナの室内でのティーシーンを描いた作品もあります。
1790年代に描かれた作品です。画をよく見るとジョージアナに差し出されている茶器も持ち手のない「ティーボウル」。
18世紀末は、「ティーボウル」「ティーカップ」2つの茶器が併用して使用されていましたが、
身分の高い人々はティーボウルへのこだわりが強かったのかも知れませんね。

ジョージアナはデボンシャー公爵と結婚後、
現在フレーバードティーの中で最も人気の香り「アールグレイ」の由来を作ったチャールズ・グレイと熱烈な恋に落ち、
女児を出産するという大スキャンダルを巻き起こします。
出産を機に2人は正式に別れますが、もしかしたら恋人時代にはグレイ伯爵ともお茶を共に楽しんでいたかもしれませんね。

「ある公爵夫人の生涯」の映画はそんな2人のラブストーリーを綴った作品。
劇中にはたくさんのティーシーンが登場します。劇中では2人は「ティーカップ」でお茶をしていました。
「ティーボウルだったらもっと良かったのに!」なんて思ってしまいました。

ティーガーデンは残念ながら19世紀前半にかけて相継いで閉鎖をし、現在はその姿を残していません。
ロンドンが巨大都市化するに連れ、ティーガーデンの広大な敷地は、
工場やビルなどの大規模な建設用の土地に求められていったのです。
19世紀に無料で入れる公共の公園がオープンしたこともティーガーデンの終焉を後押ししました。
人々はより身近な場所で、手軽に「ピクニック」を楽しむようになっていったのです。

今ではアンティーク画の中でしか見ることの出来ないティーガーデン。
1枚の画から18世紀末の時代に心を馳せてみて下さい。もちろん美味しい紅茶を傍らに・・!

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