第10回 「樹齢1700年の茶樹王」

 茶の始まり、歴史、それは中国であることに疑いの余地はないのですが、
3000年も前か、いや、4000年なのか、起源については謎のままです。

 1200年余りも前、唐の時代には文人陸羽によって茶経が著されました。
おそらくはその数百年前に遡って、すでに茶は人々の生活の中に利用されていたに違いありません。

 イギリスは1600年代の半ばになって、初めて福建省から渡ってきた茶を知り、
同時にその地を神聖な茶の発祥地として崇めてきました。
陸羽の茶経には「茶は南方の嘉木なり」と記されています。
陸羽は湖北省に住んでいたので、中国のほぼ
真ん中に位置し、そこから見た南方とは福建省なのか、それとも
もっと南方の雲南省あたりなのか、陸羽にも分からなかったのです。

 1919年になって、オランダの植物学者コーヘン・スチュアートが、
茶の起源について二元説を主張しました。一つは中国種で温帯種とも呼ばれ、
通称ボーヒー(BOHEA)中国の東南部、台湾、日本に生育し、
茶形が3〜5センチと小さく低木樹。もう一つは大葉種で
熱帯種とも呼ばれ、通称アッサム種、中国雲南からインドアッサムに
育する。葉形は大きく、20〜30センチにもなり、高木樹になる。

 福建省と雲南は東と西に全くかけ離れた位置にあります。一体、茶の
発祥地はどちらなのでしょうか。その証拠となる一本の木が1961年
雲南省西双版納で発見されました。樹齢1700年、高さは14.5メートル、
地面から50センチほどのところで、直径40センチほどの幹に二本に分かれ、
もう一本は、直径60センチもある幹で、それも地上3,4メートルのところで
二本に分かれています。

 一本の木が四本の幹から成っていて、真っ直ぐ伸びている二本は寄り添うように、
そして、伸びることを競うかのように垂直に立ち、7,8メートルの
ところから今も若々しい緑の葉を付けています。地元ではこの古木を「茶樹王」と
呼んで崇めているのです。

 茶樹王は福建省や日本、台湾、インド、スリランカで見られる椿科の
カメリアシネンシスではなく、同種ではあるが、カメリアタリエンシスで
あることが分かりました。しかし、地元の人たちはこのカメリアタリエンシスも、
かつては茶として食べ、そして乾燥させて飲料としていたのです。

 カメリアタリエンシスは、中国の西の果てからさらに生育地を西に向け、
隣のビルマ(現ミャンマー)、そしてインドのアッサムに到着したのでしょうか。
それは人から人へと渡され、そこで食文化が受け継がれ、その中に飲料として
この茶の木が人と共に移り住んでいったのです。
植物はその地の環境によって、生態を変化させ適応させていきます。
同じ椿科のタリエンシスが、ミャンマー、アッサムに根付き、やがて
今日の紅茶となったとも思われるのです。

pagetop