第11回 「19年ぶりの再訪」

 このコラムのメインタイトルでもある「紅茶の国・紅茶の旅」(筑摩書房)の執筆をするために、
19年前、スコットランドの北部、キンカーデンシャーに旅をしました。
今はアバディンシャーと統合され、アバディン地方になっています。

 19年前の5月、セイロン紅茶の父と称えられたジェームス・テーラの生誕地を探して、
エディンバラからタクシーでキンカーデンに向かいました。
車で1時間程の所にキンカーデンという街があり、てっきりそこがテーラの生まれ故郷と思ったのです。
しかし、そこにテーラを知る人は誰もなく、近くの警察署でもっと詳細な
モンボドやモスパークという地名を尋ねたのですが、どの警察官も両手を挙げて、
 「知らない、ここじゃないよ」
と立ち去らない私に困った様子。
見かねた1人が、近くにヒストリアン(歴史家)の建物が あるからそこで聞いてみたらと。

 タクシーの運転手と一緒に行くと、そこはなんと老人ホームでした。
確かに長生きしている方々なので、ヒストリアンばかりです。
藁をもつかむ思いで持っていた地名を書いた紙を見せると、お婆さんが大きな天眼鏡で見ながら、
「あなた、ここはキンカーデンだけど、キンカーデンシャーって書いてあるわよ、
そこはここから250キロも北よ」

 さすがはヒストリアン、お婆さんの手を何度も握ってお礼を言い、
躊躇する運転手を口説いて、テーラーの村に向かったのです。

 それから19年経って、今年の8月下旬、アウチェンベレというテーラの村で、
紅茶のフェスティバルが開かれることになり、再訪しました。
19年前に村に一軒だけあったパブの女将さんからフェスティバルの案内をもらったのです。

 「19年前に私のパブでハイティーをしましたね。珍しいタクシーで来て、
テーラの生まれた場所を探している話をしました。
今年初めてテーラのフェスティバルがあります。来ませんか」

 テーラはこの村を16歳で旅立ちセイロン島に行ったのです。1851年のことでした。
そのためにテーラの偉業を知る人はほとんどいなかったのです。
村で初めてテーラの資料が公開され、展示されました。

 テーラの生まれた場所には新しい家が建ち、
その家の壁にテーラ生誕地のメモリアルボードを付けました。

 そして、テーラの講演、アフタヌーンティー、ディナーパーティーと3日間に
亘り、フェスティバルは続きました。

 私が19年前に立ったテーラの生誕地は、崩れた壁が残っていただけでしたが、
そこから見た遠くの景色、なだらかな丘に沿って、緑の小麦畑、菜の花、牧草地が
どこまでも続いていました。それは今日も何も変わらず同じでした。
時折、ウサギが出てきて草を蹴って走っています。後は羊が枯れ草のように見えるだけ。

 彼は生涯この村に帰ることはありませんでした。
再訪した私、テーラの代わりに里帰りです。

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