第12回 「紅茶を授けた民族」

 1823年インドのアッサム州、その東端に位置するシブサガルで
スコットランド人のR.ブルース少佐がシンポー族の族長ビーサガムと会いました。

 「この地にはお茶の木があります」
 R.ブルースは耳を疑いました。茶の木は中国の福建省にしかないはず。
しかし、雲南省からビルマを経てアッサムにたどり着いたシンポー族は、
茶の葉を食べ、竹筒で保存し、アッサムの地で茶と共に生活をしていたのです。

 R.ブルースは戦地のアッサムで亡くなり、その二年後に弟のC.Aブルースが
兄の遺計を継いで、族長のビーサガムと一緒に野生化した茶を探し、栽培を試み、
アッサム種の紅茶として誕生させたのです。

 1839年8月14日、C.Aブルースは、アッサム種で作った紅茶を
カルカッタの茶業委員会に持ち込み、その席上で成功の報告をしました。
 「待ち焦がれていました。アッサムの茶の木の発見は、無限の恩恵をイギリス、
インド、また世界中の人々にもたらすものです。」

 今年10月4日から「紅茶を授けた民族」のシンポー族、ビーサガムの四代目に
会うために総勢16名の日本人が、ディブルガルから車で3時間ほど行ったマルガリータに旅をしました。
シンポー族のエコロッジに到着すると、民族衣装をまとった人たちが出迎えてくれます。
民族を表す紫色、緑、赤のチェックのスカーフや布地はスコットランドのタータンのようです。

 顔立ちは中国系で日本人に似ています。インド人とは違った高床式の住居に住み、
二階にかまどがあってそこで料理を作ります。鶏肉、川魚、羊肉、野菜や果物、漬物、
竹筒で炊いたごはん、全てが自給自足です。

 雲南からビルマ、そしてアッサムへと伝わってきたシンポー族の紅茶の作り方は、
生葉をすぐに鉄鍋に入れて20分ほど炒めます。その後は陰干しか、天日干し、
一部簡単な乾燥機を使って乾かすとお茶が出来上がります。

 これは中国式の釜炒り緑茶のようですが、シンポー族は、「シンポーブラックティー」と言い切りました。
そうです、インドに紅茶をもたらせ、イギリスから世界に普及させたお茶は
ブラックティーですから、彼らはあくまでも「シンポーのブラックティー」と呼ぶのです。

 この紅茶で客をもてなし、食事中も水の代わりに紅茶を飲み、仕事中に喉が渇いてもこの紅茶です。

 その味はアッサムCTC紅茶とは似ても似つかない、ライトで優しい
水の次に飲むことの出来る生活飲料水でした。

 紅茶は食べ物と一緒に楽しんで初めて力を発揮する。
これからの紅茶の発展の道しるべが、シンポー族の紅茶の中にあったと思うのです。

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